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会場の様子をいち早くお届けします!
ノルシュイテン オープニングトーク【第1回】
今日は、初日に開催したオープニング特別上映&トークイベントの様子をお届けします!
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大好評だった籾山昌夫氏(神奈川県立近代美術館 主任学芸員)のトークイベントは、様々なテーマで展開されました。アニメーションを作る前のノルシュテインについて、アヴァンギャルド芸術との関わりについて、『話の話』『外套』の中のイメージの引用について…。

まるで講義のような濃い内容で、熱心にメモを取る方の姿や、トーク終了後、籾山氏を囲んで質問や感想を語り合うのお客様の姿が目立ちました。

このブログでは、そのトークの一部を、5回に分けてご紹介したいと思います。
※「」内は籾山氏のトークの中から抜粋したものです


1.アニメーションをつくる前のノルシュテインについて
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「皆様こんにちは。今日は『美術史から見るノルシュテインの創造』というテーマでお話しさせていただきます。
まずはなかなか知られていない、アニメーションをつくる前のノルシュテインについてご紹介したいと思います。

上の写真、右が皆様ご存知、ユーリー・ノルシュテイン。左が、フランチェスカ・ヤールブソワ。愛称はフラーニャ。『フラーニャと私』という本がありますが、これはヤールブソワのことです。

ノルシュテインは、1941年生まれ。ヤールブソワはその1歳下の1942年生まれです。二人は、1967年に結婚しました。ちょうど、ノルシュテインが最初のアニメーション『25日−最初の日』を作り始めた年です。ヤールブソワはその時すでに、ロシアでは絵本の装丁画家としてある程度名の知れた存在でしたが、ノルシュテインとの結婚を機に、彼が務めていたアニメーションの製作会社に入り、1978年に製作された『キツネとウサギ』から、美術監督して作品に携わるようになります。

ノルシュテインがもともとのアイディアを練って、ヤールブソワがそのイメージを描く。そしてノルシュテインがそのイメージを動かす、こういう風に、夫婦二人三脚で作品を作ってきた訳です。

次の写真は、ノルシュテインが14歳の時に描いた自画像です」

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「1955年、この作品が描かれた年に、ノルシュテインは父親を亡くしました。とても悲しそうな顔をしていますよね。荒々しいタッチで、大胆に光と陰を描いた、とても印象的な作品です。

この頃、ノルシュテインは画家を志していました。アニメーションに向かう前のノルシュテインは、実は画家を目指していたんですね。
翌年からノルシュテインは、美術大学に入学するため、児童美術学校という美術の予備校のような所に通うようになります。後に奥さんとなるヤールブソワもそこに通っていました。二人は幼馴染だったんです。

そしてそこで、ノルシュテインはアヴァンギャルド芸術というものを知ったと語っています。それについてはまた後でお話します。

美術を学んできたノルシュテインですが、1958年、残念ながら美術大学の受験に失敗してしまいます。それで、昼間は家具工場で働き、夜間にまた美術学校に通うようになります。
そして1959年、18歳の時からサユーズムリトフィルムの附属コースでアニメーションを学び始め、1961年からそこのアニメーターとして様々な監督の作品に参加するようになります」

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お話しはここから、初期のノルシュテインの作品と、ロシアアヴァンギャルド芸術の関わりについて広がっていきました。

それについては次回ご紹介しますので、どうぞお楽しみに!

【画像】
ノルシュテインとヤールブソワ:撮影 みやこうせい
ノルシュテイン《14歳の自画像》1955年

by artium | 2010-10-31 12:05 | ノルシュテイン&ヤールブソワ


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